伝統を生かす、そこに生まれる新しさ
シャンパーニュ・コント・ド・ダンピエール
長い歴史を持つシャンパーニュメゾンと、日本の伝統芸能や工芸を守る人たち。その多くを取材してきたが、彼らが共通して言うことがある。それは「伝統を守るためには革新が必要」ということ。「真逆のことをする覚悟がなければ伝統は守れない」と言った人たちもいた。相反するようだが、こんなことを言う人もいた。「我々の伝統は革新だ」。シャンパーニュはこれまでも時代とともにトレンドを変えてきた。シャンパーニュらしさを失わないために伝統を守る。そのために、伝統には縛られない。
しかし、そういうメゾンに共通しているのは、やはりシャンパーニュの伝統、特に自分たちのブランドのフィロソフィーを軽んじてはいないし、その魂は必ずどこかに現れている。シャンパーニュの中身や、製法や、大切な畑や、デザイン、メゾンの建物、それはなんでもいい。シャンパーニュの歴史へのオマージュがそこにある。シャルル・エドシックが大切にするクルイエール、テタンジェが自分たちの守ってきた城をオマージュしたキュヴェ「マルケットリー」、ボランジェが掟のように守る樽、古木、メゾン・マムがロゼに冠するフジタの薔薇、ドゥヴノージュ「ルイ15世」の中世の若い貴族たちの感性をモチーフにしたボトルデザイン。やはりシャンパーニュは連綿と続く大河ドラマ。
そして、シャンパーニュ・コント・ド・ダンピエールがシュワリスタたちに贈ってくれたのは「フィスラージュ」だ。麻ひもを使ったコルク留めのことをこう呼ぶ。麻でコルクを留めているそのものを見れば原始的で古臭いようにも見えるが、ボトル自体を俯瞰すればモダンなボトルデザインをよりアーティスティックに飾り、モード感をもたらしているようにも見える。なにより、抜栓しようとする瞬間、これを外そうとする際には不思議なエレガンス、もしかしたら場面によっては、パイパー・エドシックが過去に限定ボトルで採用したボンデージ、あの艶を内包したような美しい艶めかしさも感じられる。採用の経緯や狙いなどについて来日されたダンピエールの営業部長兼輸出部長ガブリエル・ブライティンガーさんにお話を伺うとなるほどと納得。ガブリエルさんは、ダンピエールで同職に着く前に、世界的な酒類ブランドで働いていたキャリアがあり、以前から日本には訪れる知日派でもある。ここ20年の日本におけるシャンパーニュ市場の変化についてもよく理解されている。だから、日本のシャンパーニュ好きには受け入れられるだろうという確信みたいなものはあったのだと思う。
まずはフィスラージュの歴史を伺うと「もともとはトランスポートのための知恵」とのこと。1700年代、シャンパーニュからパリの王宮まで、シャンパーニュを馬車で運ぶのだが、そこに待っているのは悪路。それまでの留め方ではどうしても暴走して吹き出してしまう。フィスラージュはこの対策として考えられたものだ。麻ひもは見た目以上にしっかりと固定でき、これにより輸送でのリスクは軽減された。現在に至るまでにシャンパーニュで生まれてきた革新は、その多くが、問題解決のための知恵から始まったもので、その知恵は時代と共にどんどん新しいものに更新されていく。麻ひもから金具、そしてさらに新しい方法や素材へと進化していくだろう。
では、ダンピエールがこれを残す意味は? 第一には小さなメゾンだからこその生き残り。つまりは印象深い意匠によって注目してもらうこと。市場に向けたメッセージではある。通常は、プレスティージュクラスとブラン・ド・ブランの2アイテムのみの展開だが、嬉しいことに日本では定番であるN.V.「アンバサダー」にも施されている。麻ひもを見ればダンピエール。なるほどわかりやすい。その効果は高いと思うが、シュワリスタにとってはこれに加えてもうひとつの魅力を感じることだろう。それは「新しいもの」であり、それが今は無き伝統、つまり「昔の革新のエビデンス」を見せてくれることだ。それは、いにしえのシャンパーニュの知恵を、今、楽しさの中で感じられること。手間のかかる作業であることは存分に伝わる。それがまた、いい。
もちろん、中身も面白い。そうでなくては意味がない。まずはブラン・ド・ブラン。アロマは濃密な白い花と果実。シトラス、レモンやりんごも顔を出す。樽を感じるほどの円熟感。ダンピエールでは樽は一切使っていないということだが、にわかには信じられなかった。しかし、味わってみると印象はがらりと変わる。酸が見事に溌剌としていて、それが長く柔らかく続く。そう、円熟味は樽ではなく、おそらく秘密は26%使用するリザーブワインの品質。今回テイスティングしたものは2011年がベースで、08年から10年のものも加えられている。年によってリザーブワインの割合はかなり変わるという。それはまた試してみたいが、このリリース年の円熟と溌剌のバランスは見事だ。
次にアンバサダー。こちらは最初から溌剌だ。もちろん果実の伸びやかさであったり、心地よい複雑さはある。シュワリスタ流にオケージョンを考えれば、朝のキックオフ。このまま仕事に入ってもいいぐらいの溌剌さ。繊細さと自然さを持つエナジードリンク。聞こえてくる音楽はマイケル・ヴーヴレの「イッツ・ア・ビューティフル・デー」だ。もちろん快活な休日ならなおさら気分は上々。逆にブラン・ド・ブランは雨の日の休日。リラックスの場面が浮かぶ。ガブリエルさんも「暖炉の前、皮のソファーにゆったり座って、友人たちとおしゃべり」とイメージを広げてくれる。アンバサダーもブラン・ド・ブランもこれに縄を解く瞬間が加わる。アンバサダーは高級な、でも、それは得体のしれないものを混ぜ合わせたものではなく、あくまでも新鮮で自然な黄色い柑橘のジャムの瓶を開けるような、また、真新しい飾らないカトラリーの袋を開けるような、そんな明るく幸せな高揚感。ブラン・ド・ブランは友達同士の思い出が詰まった厚いアルバムを開けるような、じんわりと幸せが沁みてくる感覚。
特別ではないいつものオケージョンに、このシャンパーニュがあり、フィスラージュを解く。すると、このシャンパーニュは気分よく特別な場面にしてくれる。ダンピエールが提案するフィスラージュというそのころの知恵は、今、私たちを新しい特別感で楽しませてくれる。
text: daiji iwase