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RUNNING STORY AT CHAMPAGNE 聖地を巡る
華やかさの理由と真髄を探るべく、シュワリスタ、シャンパーニュ地方へ
岩瀬大二(d's arena)
バブル入社組。酒と女と旅を愛する編集プロダクション代表。世界最高峰の世界遺産はイタリア女だ! とローマのの真ん中で叫んだ経験あり。企業SP、WEBサイト、携帯メディアなどでエディター、プランナー、ライターとして活動中。
photo: NORICO
Vol.2
天の恵みは全ての人に注ぐ
08.7.14 up

シャンパーニュ地方において拠点となる大きな街は3つ、ということになるだろうか。地図で見ると南のトロワ、真ん中のエペルネ、そして北のランス。中でもランスは人口約19万人、古くから商都として栄え、同時にシャンパーニュの都として多くのヴィジターを迎え入れる、シャンパーニュ地方の玄関口でもある。

ランスには世界遺産である『ノートルダム大聖堂』がある。401年、サン・ニケーズにより立てられた小さな聖堂。それが1212年から200年以上にわたる大工事を経て、1481年、現在の威容を誇る大聖堂となった。荘厳かつ圧倒的スケールを誇るカテドラル、ゴシック最盛期の傑作のひとつに数えられる立像など現在でも見所の多いこの場所は、フランスの歴史を語る上でも欠かせない存在である。

古来より「ランスでの戴冠式を終えてこそ本物のフランス王となる」との慣習があり、この大聖堂はいくつもの盛大な戴冠式が行われてきた。この戴冠式のときに振舞われたのがシャンパーニュ地方の赤ワインであり、ここからフランス王室とシャンパーニュ地方の幸せな関係が育まれていった。

滞在4日目の日曜日。アイ村から車を飛ばし、ここを訪れた。大聖堂は、スペクタクル、ファンタジック、いろいろ装飾する言葉を考えてみたが、どれも言葉遊びに感じてしまう存在感だった。昼なお暗い遥か視線の先の大聖堂の天井を見上げたまま立ちすくみ、次第にその場にひざまずきそうな衝動に襲われる。この日は地元の方々のためのミサが行われていたが、容易に部外者が入り込めるような空気の中にはなかった。排除されているというのではない。何百年も続くランスの人々と、この大聖堂の深い関係への畏敬の念が、その中に入っていこうとする足を止めたのだ。遺跡ではない。営みとともにある素晴らしき世界遺産。

ゴシック建築の荘厳さに圧倒されるノートルダム大聖堂。取材時には外観は修復中だったが、一歩中にはいると静寂とは違う張り詰めた静けさが。

だが多くのシャンパーニュ・ラヴァーにとっての世界遺産は、この大聖堂だけではない。おそらく、ランスそのものが世界遺産を認定したくなる対象なのではないだろうか。

多くのシャンパーニュ・メゾンが軒を連ねるようにあるから、という理由ではない。確かにランスには数多くの、シャンパーニュを代表するメゾンが集まっている。ヴーヴ・クリコポメリーリュイナールアンリオクリュッグマムランソン…。市内地図にその名前を発見するたびに胸が高鳴るビッグネーム揃い。しかしそれは単に「街ごとテーマパーク」に過ぎない。考えるべきは、なぜこれだけのシャンパーニュ・メゾンがこの地にあるのか? その必然性こそが「世界遺産」である理由であり、我々が感謝してもしつくせないランスという街の秘密でもある。

それを今回ランスで訪問した3つのメゾン、ルイ・ロデレールパイパー・エドシック、そしてテタンジェで感じることができた。それは、ランスの地下に張り巡らされた自然のカーヴだ。

ランスを例えるなら、石灰岩の上に立った瀟洒なお城。シャンパーニュ地方の特徴といえば良質な石灰岩という土壌。ランスももちろんその土壌の上に立っている。この良質な石灰岩を、この地に住み着いたローマ人たちは建築に利用し街を形作っていった。地中から次々と掘り出される石灰岩。必然的に掘り起こされたところには地下道ができる。このときは単なる坑道であり、建造物を造るためのものだった。しかし何世紀もの年月を経て、ランスの人々は発見する。「我が町」の地下に張り巡らされたこの道は、1年を通して一定の涼しさと湿度を保つ、天然のワインセラーとしての機能を持つことを。

名門ルイ・ロデレールの地下セラー。街の下にこれほどの規模のセラーが存在する。これこそがランスという街の凄み。40分ほど歩き回ったあとの『クリスタル』のテイスティングは格別だった。

考えてみればシャンパーニュはある意味でハンデを逆手にとって、その素晴らしい世界を作り上げてきた。限られたぶどう品種で造ることも、ぶどう栽培の北限であることも、普通ならその身を呪うところだろうが、それを逆手にとって他にはない存在を生み出したのだ。ランスがもし肥沃で緑に溢れる土壌で、他の農作物に適した場所だったら…現在、黄金の地として、これほど世界中のシャンパーニュ・ラヴァーを魅了する街にはなっていなかっただろう。ローマ人は建築に適しているという発想でこの石灰岩の城を利用した。それをシャンパーニュ造りに係わる人々は、ミネラル豊富な土壌として、そしてまた天然のワインセラーとして利用した。

深く長く広大、そして重厚なルイ・ロデレールのカーヴで、シャンパーニュ造りの歴史のタイムトンネルに入っていくような錯覚をおこすテタンジェのカーヴで、負をプラスにする叡智と発想、そして与えられた「恵み」に想いを馳せた。天の恵みは一面的に見るととても不公平だ。なぜシャンパーニュ地方には、パワフルで燦燦とする南フランスのような太陽をくださらなかったのか? 1年中緑が生い茂る豊穣の大地を、人々とモノたちが行き交う大河を…。いや、違う。やはり公平だったのだ。

パイパー・エドシックの地下深い白亜のカーヴ、大聖堂の天井を思わせる遥か視線の上、そこに空けられた穴から、地上の陽光が差してくる。その青白い光は、天界から差してきたものと錯覚をおこすほど神秘的だった。もし神というものが存在するのだとすれば、ここランスにもちゃんと恵みを与えてくださったのだ。石灰岩、北限…試練に見えてそれはやはり恵みだったのだ。それはもしかしたら世界中、どこでも同じようなことが言えるのかもしれない。なぜ極寒の地に住むのか、なぜ荒波と寒風吹きすさぶ小さな漁村に住み続けるのか、灼熱の大地で生を営むのか。そこには都会にいては知りようもない素晴らしき恵みが眠っているのではないか。それを生かし発見することを我々は試されているのではないか? 恵みと試練は表裏一体。長い階段を上がり、地上に出る。

まぶしい午後の光の中で現実に戻った後、新しくできたばかりだというテイスティング・ハウスでシャンパーニュをいただいた。いつもよりも神々しく感じたのは決して大げさなことではない、と思う。

持たざるからこそ生まれるもの。その凄みと幸せ。それはランスに限ったことではない。我々取材班はランスから南へ車で2時間。シャンパーニュ地域としては最南端とも言えるセル・シュール・ウルス村のある小さな、小さなRMの造り手に「それ」を見ることになる。

一般見学ではテーマパークのような楽しさを提供しているパイパー・エドシックだが、特別に見学が許されたこちらの長い長い歓談を下る地下セラーは神秘的な趣。天空から差す青白い光の先は緑のガーデン。こちらも見学のあとのテイスティングは…至福。

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