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車はアイ村のプチホテルを出て10分もしないうちにエペルネへ。そしてさらに南へ進路をとる。サロンを訪ねたのと同じルートだ。シュイィ、アヴィズ、冬でもコート・デ・ブランを臨む風景はどこかふくよかで優しげだ。車はさらに南へ60分、シャンパーニュ地方で最も南に位置する要衝トロワの街をすぎ、さらに南へ30分、ようやく車は今日の目的地であるセル・シュール・ウルス村に到着した。さらに、さらに、と何度も書くほどの距離。シャンパーニュ地方を縦断してはじめてその広さを実感した瞬間だった。 ローズ・ド・ジャンヌのぶどう畑にて。近所の住人がふらりと入って落ち葉を拾ってくれたりとどこか牧歌的な雰囲気。写真では奥まで広々と広がるが彼の畑は奥に写っている鉄塔の手前まで。そして道をはさんで写真左側は他人の土地。この狭い区画を徹底的に磨きあげる。
セドリックとは東京で2度会っている。東京で2度、などと紹介するとセドリックが世界を股にかけて活躍しているというイメージがあるが、実像は真反対。彼はこの村をほとんど出ずに自分のシャンパーニュを極めようとしている(昔はオヤジさんの元を飛び出して、村を出て行ったことはあったけど)。変わり者のアーティスト、求道者、あるいは32歳の素朴な村の若い兄ちゃん、そのどれもが彼を言い表すのに適している。 上: 地下カーヴで畑の区画図を見せてくれたセドリックと彼女。グレーの部分が冒頭の写真のエリア。これだけ細分化された区画ながら出来上がるシャンパーニュは隣とこうも味が違うのか!と驚嘆する。単一区画へのこだわりを理解できる。
そして畑へ。状況的な制限と彼自身がさらに施した制限。ピノ・ノワールは0.9051h、ピノ・ブランは0.2167ha、シャルドネは0.1180ha、そしてピノ・ムニエは0.032ha…。わざわざ私の取材メモを取り上げて直筆で畑の広さを書いていくセドリック。そして 冬の畑で土壌、そしてぶどうの育て方に熱弁を奮うセドリック。朴訥、はにかみ。しかし、ワイン造り、シャンパーニュへのこだわりを語りだすと情熱的で多弁。こういうこだわりの生産者とこだわりの畑で語り合える。シュワリスタとして幸せを感じる瞬間。
でも、それでいい、と私たちは思う。大手メゾンの素晴らしい安定感と崇高な世界がシャンパーニュのひとつの頂点とすれば、セドリックのような造り手が生み出す、こだわりの世界もまたシャンパーニュの世界を豊かに広げてくれる。グラン・クリュから生まれるシャンパーニュは素晴らしい。けれどもグラン・クリュだから素晴らしいのではない。グラン・クリュのぶどうだからこそ、これをうまく生かす高度な技術が必要だ。そして逆に、ぶどう価格評価の低いエリアだとしても素晴らしい世界を紡ぐことができるのもまた事実。むしろグラン・クリュでは生み出せない自由で個性的な世界がそこにはある。2002年と2003年の味わいが違う。いいじゃないか、とRM好きはいう。それでもその顔の見える造り手が、その年にどんなことを思い、どんな頑張りをして生み出したのか、それがいいんだとRM好きはいう。RMを楽しむとは、そういうものなのだ。 |