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RUNNING STORY AT CHAMPAGNE 聖地を巡る
華やかさの理由と真髄を探るべく、シュワリスタ、シャンパーニュ地方へ
岩瀬大二(d's arena)
バブル入社組。酒と女と旅を愛する編集プロダクション代表。世界最高峰の世界遺産はイタリア女だ! とローマのの真ん中で叫んだ経験あり。企業SP、WEBサイト、携帯メディアなどでエディター、プランナー、ライターとして活動中。
photo: NORICO
Vol.3
小さなこと、幸せなこと
08.8.7 up

車はアイ村のプチホテルを出て10分もしないうちにエペルネへ。そしてさらに南へ進路をとる。サロンを訪ねたのと同じルートだ。シュイィ、アヴィズ、冬でもコート・デ・ブランを臨む風景はどこかふくよかで優しげだ。車はさらに南へ60分、シャンパーニュ地方で最も南に位置する要衝トロワの街をすぎ、さらに南へ30分、ようやく車は今日の目的地であるセル・シュール・ウルス村に到着した。さらに、さらに、と何度も書くほどの距離。シャンパーニュ地方を縦断してはじめてその広さを実感した瞬間だった。

絵葉書のような、とか、絵画のような、という表現があるけれど、この村はまさに風景画の中にあった。もしかしたら童話の挿絵の世界かもしれない。絵の具をいっぱいつかった多彩な絵ではない。洒落たレストランなど見つからない。細くほこりっぽく中途半端な舗装。色味の少ない家屋。しかしどこにもうらぶれた感じはない。どこかチャーミングで、しかしどこまでも大らかな雰囲気。その風景画の小路を縫って村の中でも最も小高い場所に車が進むと、そこで今回の訪問目的であるRM、『ローズ・ド・ジャンヌ』の若きオーナー、セドリック・ブシャールが出迎えてくれていた。
「本当に、本当に、遠いところをありがとう」
彼の造るシャンパーニュ同様、癒される、スーッと身体と気持ちに溶け込んでくるような笑顔だ。

ローズ・ド・ジャンヌのぶどう畑にて。近所の住人がふらりと入って落ち葉を拾ってくれたりとどこか牧歌的な雰囲気。写真では奥まで広々と広がるが彼の畑は奥に写っている鉄塔の手前まで。そして道をはさんで写真左側は他人の土地。この狭い区画を徹底的に磨きあげる。

セドリックとは東京で2度会っている。東京で2度、などと紹介するとセドリックが世界を股にかけて活躍しているというイメージがあるが、実像は真反対。彼はこの村をほとんど出ずに自分のシャンパーニュを極めようとしている(昔はオヤジさんの元を飛び出して、村を出て行ったことはあったけど)。変わり者のアーティスト、求道者、あるいは32歳の素朴な村の若い兄ちゃん、そのどれもが彼を言い表すのに適している。

セドリックと出会ったのは、新宿伊勢丹で開催される、シャンパーニュ好きの間ではすっかり晩秋の風物詩となっているイヴェント『ノエル ア ラ モード』。一昨年はこのシュワリスタ・ラウンジもまだ立ち上がっておらず、そしてローズ・ド・ジャンヌという名前も知らず、ただただ試飲した際の素晴らしさに驚嘆しただけだった。そして売り場に立つセドリックに、購入したボトルにサインをしてもらった…ただそれだけの出会い。そして昨年、再び新宿伊勢丹にいた彼に、今度はしつこくワイン造りについて尋ね、あまりのしつこさに辟易したのか、それとも何かを感じてくれたのかは定かではないが
「だったら一度来てくださいよ」
と彼から。もちろん真に受けるのがシュワリスタ流。

英語がほとんど話せない彼の横には、美形の彼女が通訳代わりに寄り添う。
「じゃあ、タンクから案内しましょう」
という彼の横をオヤジさんが手押し車を押しながら笑顔で通る。オヤジさんもここでシャンパーニュを造り、おじさんも同じように造っている。みんな、この小さな小さな畑で自分だけのシャンパーニュを追及しているライバルであり最高の仲間。同行した女性編集者にウィンクするオヤジさん。苦笑いのセドリック。やわらかいシャンパーニュ南部の陽光の下で見たその光景はまるで単館ロードショー映画の1シーン。

美しく磨かれたステンレスタンクを見る。あまりにも少ない。後列に4つ、前列に2つ。これで全て。これまで大手メゾンのいくつかを見学した。ずらりと並ぶ壮観なタンク群、圧倒される樽の数を見慣れた身にはなんとも心細く感じるほどだ。年間生産量、全てのラインアップをあわせても5000本以下というのはこういうことなのか。そのタンクのひとつ、前列左のタンクにセドリックが近づく。新たな挑戦であるピノ・ブランのタンクだ。ピノ・ブランは、「シャンパーニュの教科書」に必ず出てくる基本的な3品種、すなわちシャルドネ、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエではなく、その他として認められる品種のうちの一つ。軽やかな白ワインとして楽しめるぶどう品種だ。これを使っている造り手はごくわずか。彼はタンクの下から4分の1ほどのところに水平チョップよろしく右手を当てた。
「ここまでしかはいってないんですよ」
あまりにも少ない。果たして何人の口に入るのか。しかし、それでいい。ローズ・ド・ジャンヌは多くの人に出会って欲しいシャンパーニュではあるが、多くの人に供給するためにセドリックの目が届かないシャンパーニュを造って欲しくない。それがRMというものへの共通の想いでもある。

上: 地下カーヴで畑の区画図を見せてくれたセドリックと彼女。グレーの部分が冒頭の写真のエリア。これだけ細分化された区画ながら出来上がるシャンパーニュは隣とこうも味が違うのか!と驚嘆する。単一区画へのこだわりを理解できる。
下: このステンレスタンクの中にローズ・ド・ジャンヌの全てのワインが眠っている。写真一番手前が静かに醗酵を進めるピノ・ブラン。

そして畑へ。状況的な制限と彼自身がさらに施した制限。ピノ・ノワールは0.9051h、ピノ・ブランは0.2167ha、シャルドネは0.1180ha、そしてピノ・ムニエは0.032ha…。わざわざ私の取材メモを取り上げて直筆で畑の広さを書いていくセドリック。そして
「ここからあそこまでの区画が僕の畑。それから丘の向こうにここよりも小さい畑があります」
数字で見ても僅かな面積だが、彼の指差す目の前の畑はさらに小さく感じる。この中で、単一ヴィンテージを送り出すというのは、生産者としてはあまりにも大きなリスクだろう。出来不出来のコントロールが効かないからだ。とはいえリザーヴワインを造れるほどの収穫量はない。さらに彼は一本の木に実るぶどうの房を極限まで減らしている。通常は12房程度、グラン・メゾンのプレスティージュ・レベルで8房程度、それを彼は5房と極端に減らしている。これはひとつひとつのぶどうのコンセントレーション(集中力)を高めるために行っている行為。その効果はノン・ドサージュながらぶどう本来の甘みが感じられる清らかな香り、風味として驚くほど顕著に表れている。まさに「素顔の美しい女性」。化粧からは見えないその人本来の美しさ。しかし、その分生産量は必然的に少なくなる。同じ畑で単純に倍の本数が造れるにもかかわらず、それでも彼は自分だけのシャンパーニュを追及する。

低ガス圧が生む優しい味わい、ビオにこだわったぶどうの自然の力の引き出し方、単一区画、単一ヴィンテージへの挑戦、近所の人のお手伝いはあっても1人で納得のいくシャンパーニュを造るというアティチュード。そのどれもが彼のメゾンの価値を高めることになっても、逆にビジネスとしての大きな成功には結びつかない。なぜなら、彼がこだわればこだわるほど、これ以上多くのシャンパーニュは造れないから。

冬の畑で土壌、そしてぶどうの育て方に熱弁を奮うセドリック。朴訥、はにかみ。しかし、ワイン造り、シャンパーニュへのこだわりを語りだすと情熱的で多弁。こういうこだわりの生産者とこだわりの畑で語り合える。シュワリスタとして幸せを感じる瞬間。

でも、それでいい、と私たちは思う。大手メゾンの素晴らしい安定感と崇高な世界がシャンパーニュのひとつの頂点とすれば、セドリックのような造り手が生み出す、こだわりの世界もまたシャンパーニュの世界を豊かに広げてくれる。グラン・クリュから生まれるシャンパーニュは素晴らしい。けれどもグラン・クリュだから素晴らしいのではない。グラン・クリュのぶどうだからこそ、これをうまく生かす高度な技術が必要だ。そして逆に、ぶどう価格評価の低いエリアだとしても素晴らしい世界を紡ぐことができるのもまた事実。むしろグラン・クリュでは生み出せない自由で個性的な世界がそこにはある。2002年と2003年の味わいが違う。いいじゃないか、とRM好きはいう。それでもその顔の見える造り手が、その年にどんなことを思い、どんな頑張りをして生み出したのか、それがいいんだとRM好きはいう。RMを楽しむとは、そういうものなのだ。

大手メゾンのシャンパーニュがあるからRMの素晴らしさがわかる。そしてRMがあるから大手メゾンのシャンパーニュの凄みを感じることができる。シャンパーニュ最南部の小さな畑の情景とセドリックの情熱にMシャンパーニュの素晴らしさと、シャンパーニュ地方全体の底力を見た。

そう、こうした土、空気、風、雲、そんな情景を思い浮かべながら目を閉じて向き合うのもシャンパーニュなら、華やかさを振りまくのもシャンパーニュの仕事。例えばランスの夜。そこでは星付きレストランで、そしてスタイリッシュなナイトクラブで、もうひとつのシャンパーニュの世界があった。

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