シャンパーニュを楽しむWEBマガジン [シュワリスタ・ラウンジ]

Menu Open

INTERVIEW

酒とシャンパーニュ、変わらぬ思いと流儀
リシャ―ル・ジョフロワ インタビュー Part2

text by Daiji Iwase


1990年に最高醸造責任者に就任以降、ドン ペリニヨンの価値を創造し、守り続けてきたリシャ―ル・ジョフロワが退任。その後のプロジェクトに注目が集まっていたが、それが日本・富山での日本酒造りだった。Part1では、そのきっかけとなった日本との関係、酒に持ち込んだアッサンブラージュなどについて聞いた。Part2では新しい舞台となった富山のことから日本人の意外な気質まで、リシャ―ルさんの目に映った日本、そして世界への日本酒の可能性などに話は広がる。Part1同様、シュワリスタ・ラウンジらしく、その飛躍をライブ感たっぷりにお届けすることにしよう。

酒とシャンパーニュ、変わらぬ思いと流儀 リシャ―ル・ジョフロワ インタビュー Part1 >

■このインタビューのエッセンスをまとめ、特にアッサンブラージュに焦点を当てた記事は「WINE-WHAT」2020年12月発売号にてお読みいただけます。
また、今回のインタビューでは、同誌鈴木文彦副編集長に、哲学的なリシャ―ルさんの言葉を読み取った通訳でサポートいただいた。

 

IWA=岩に込められた意味

Sh:(Part1の最後で)「バランス、完璧、一貫性のヴィジョンに向けて、一丸となって動いているんです」とおっしゃいました。それでいうと「IWA」というプロジェクト名は、「一枚岩」という日本の言葉を思い起こさせます。

R:私も一枚岩という言葉は知っています(微笑)。「IWA」という名前は立山町にある「白岩」という地からきています。白岩の景色、場所がキーで、会社の名前も白岩株式会社としました。でも一枚岩ときいて、「IWA」がこのプロジェクトにまさに相応しいと、あらためて感じます。地元の景観、人々の営み。人々の営みが景色をつくり、景色が人をつくる。相互作用です。その景観と繋がる「IWA」が我々を動かす、我々に良い影響、良いバイブレーションを与えてくれる。うれしいことです。深みがある。

Sh:ちなみにどなたが「IWA」という名前を選んだのですか?

R:白岩という場所から自然に「IWA」へと導かれました。私たちが選んだ白岩は、何世紀にもわたりその名前で呼ばれてきました。立山町ができたときから、ここはもう白岩で、昔から変わることなくこれからも、ここは白岩。IWA誕生の地の場所選びと名前がつながっているのです。(建築家で白岩にできる酒蔵の建築に関わる)隈研吾さんが何度も言うのですが、建築デザインが始まる前に場所選びからかかわったのは今回が初めてだと。( 桝田酒造店社長の)桝田隆一郎さんと三人で、いろいろな候補地を見てまわったのですが、その景観の美しさから白岩を選ぶに至るまで、隈さんはそのすべてのプロセスに最初からかかわっていました。場所、景観は、ブランドの自意識、コンテンツの一部だと思っています。ブランドは場所に紐づく。そして、水も大事です。立山の水は、高品質で、飲水として高く評価されている。そして名前の響きもいい。それで「IWA」となったのです。

Sh:大切な言葉となったのですね。さて、日本酒造りで喜びとなったことを教えてください。

R:酒の魔法…、ブドウは、ブドウの中に、ワインになるべきものがありますよね。水、糖、酵母はブドウがもっています。極論すれば、ブドウの房をそのへんにおいておけば、ワインとはいわないまでもワイン的なものはできます。でも、米をそのへんに置いても、何もおきません。酒にはならない。酒づくりは、魔法のように、奇跡みたいに見えます。酒造りは日本人らしさそのものではないかと思います。予測不可能なものに対しても、粘り強くて、信念があって、完璧を求める。こういう日本人的な感性がなければできないと思います。繰り返しますが、米が酒になるなんて、ミラクルです。芸術と比べてもいい。タンクの中で酒ができたときの感動。乾燥した穀物が、ピュアで、清水のような、品質が高い、喜びを生み出す酒へと変わる。本当に、今でも驚きです。

Sh:一方で難しいことでもありますよね?

R:難しいといえば、頭の中に確かに目指すべき酒の像はありますが、じゃあこれをいかに造るか、ということなのです。ヴィジョンを現実のものとする。試して、試して、理想へと近づけていく。決して到達することはないけれど究極の理想へと近づいていく。それこそが難しさであり、チャレンジです。杜氏の経験、腕に私の考えていることを託す。彼は、才能溢れる、洞察力にすぐれた人物です。私がこの業界でであった中でも最高の人物です。彼は英語が話せませんし、私は日本語が話せない。それでも我々には相互理解があって、奇妙な感じですが、すごく刺激を受けますし、一体化している。だからといって何でもできるわけじゃなく我々には限界があって、その中で、努力するのです。一緒にボートを漕ぐみたいに、同じ方向に一体となって進んでいく。

SHW_Int_2012_0202

 

想像以上の日本人の情熱、富山の魅力

Sh:杜氏さん含め、日本側のほうも、刺激をうけますね

R:酒造りだけではなく文化的な挑戦でもありますよね。私自身、日本を感じて、どうするかを考えて。そう、これは日本の美しさだと思うのですが、想像以上だったのは、あきらかに、情熱的。情熱の熱量が、もう燃え上がっている。完璧にむかって、熱心で、何度でもやる、あきらめない。私のチームの熱量はベストですよ。会社を立ち上げ、ユニークなスキームで酒を造った。そこにかける情熱は驚くべきものです。

日本には、学ぶべきところがたくさんある。このプロジェクトを通じてまた学びました。すごいですよ、日本。本当にすごい。警官を辞めてプロジェクトに入った富山の人もいて、そういう選択をするのも驚くべきで、世界は日本のこういう情熱を知らないのですよね。日本人は、控えめで、シャイと思っているでしょう。そんなの全然、間違い(笑)。それはうわっつらですよ。日本人は炎です。熱い。ラテン以上にラテン。イタリア人にも負けない(笑)。

Sh:富山は控えめで、トラディショナルなところ、というイメージが日本人にもありますが。

R:そういうところもあるのでしょう。でも、富山には、起業家精神があると思います。例えば桝田さんは進歩的な人で、世界を旅して、ワインにも詳しいし、ラグジュアリーにも精通している。美術、ダイニング、地球のいいものをたくさん体験し、知っている。そして、地元愛がある。地元に貢献しようとしている。世界に開かれた、地元の人です。富山を知れてよかった。そういう進歩的な人が富山にはいます。

Sh:実は富山は歴史的には、結構熱い出来事が多い場所でもありますしね。それにしてもすっかり富山ツウです。

R:コミュニティに入り込むのは難しいかと思いましたが、いまはみんな助けてくれますし、「IWA」を富山でできるのは、うれしいことです。

Sh:富山は食材の宝庫でもあります。「IWA 5」とのフードペアリングも興味深いものがあります。

R:「IWA 5」は日本、富山に深く根付きながら、世界の多様な食や文化を包括する日本酒です。なので、何が合うと限定することは避けたいと思っています。和食について考えてみると、食事の最初から最後まで合わせることができるのが良いところだと思います。例えば富山は、シーフードが有名ですが、山で狩猟もできますよね。白エビからイノシシやクマまで食べる。食の偏差がすごく大きいのです。そうやって色々あるから、アッサンブラージュから生まれるバランスが活きてくる。すべてが繋がっているのです。バランスとは、食べるものや場に自らをあわせることができる、ということです。バランスは柔軟なもの。バランスが悪いと、凝り固まっていて、合うか合わないか、で終わります。バランスは柔軟だから、食にぴたりと合わせられる。「IWA 5」は食事の上にも下にもいかない。力強すぎることも、弱すぎることもない、それがバランス。常に食の特性に呼応するのです。

香港やシンガポールでも「IWA 5」はうまくいっています。中国料理をはじめアジアの食文化にも合う。香港や上海でも「IWA 5」がすぐに人気となっています。中国のテイストにもあう。フランスでもイタリアンレストランでも「IWA 5」は良くあいます。デンマークやアメリカの新しい潮流でもうまくいく。これがバランスなのです。バランスがなければ、どこかで破綻する。うまくいくところもあれば、全然ダメなところもある、というのはバランスがとれてない。いい酒は、すべてを包み込むのです。食も、時間も。

Sh:リシャールさんの尽力で、世界が日本酒を知ってくれる、受け入れてくれますね。それをきっかけに日本にあるいろいろな酒を知って欲しいと思います。

R:それがまさに目指しているところです。日本酒は5%しか輸出していない。香港、シンガポール、中国向けをのぞけば、2%です。0とかわらないですよ。未来を考えれば、もっと外にでなければ。「IWA 5」が、世界に酒が知られるきっかけになれば誇らしいことです。今は、日本酒はアジアの外では、まだ知られていなませんが、潜在能力は、とても大きいと思います。

 

人生の冒険、第二章は続く

Sh:さまざまな可能性を持って登場した「IWA 5」ですが、今後、どうなっていくか、そしてリシャ―ルさんとして何がしていきたいのか?

R:まず今回の「IWA 5」は柱です。今後の「IWA」の基礎です。ですが、「IWA 5」は、ずっと実験的なプロセスをたどり、毎年進化していきます。色々挑戦して、足したり引いたりして、毎年、違う新しいアッサンブラージュ「IWA 5」ができていきます。何年かたったら、垂直試飲もできるようになりますよ。「IWA 5」にヴィンテージ表記はしませんが、ナンバーはつけているので、何年のアッサンブラージュか分かります。それぞれを比べて飲んでいただくことができるようになります。

そして、「IWA 5」だけをずっと造っていくというつもりもないです。将来はほかの「IWA」があっていい。多くのものを造ろうというのではない。いろいろあってわけがわからない、という風にしたいわけではないので少量となるでしょうが、それぞれに個性的な、そう、別の視点からみた酒、それがそれぞれに「IWA」らしさがあって、ちゃんと考えられたもので、というもの。すでに日本酒には長い歴史があって、いろいろな試みがなされているから、新しいものというのは簡単なことではない。でも別の角度、別の視野でみた酒はできると思っています。その意味で、新たにつくる酒もこれまでにないものになるでしょう。私は一歩先を考え、次のステップへ向かって準備をしています。

Sh:お話を聞くと、リシャ―ルさんが手がけたドン ペリニヨンのP2を思い出します。リシャ―ルさんのドン ペリニヨン時代がP1なら今はP2、つまり新しい輝く熟成期間を迎えた。

R:完成へと向かってね。おもしろいアナロジーです。66歳で、リタイアして、ゴルフをして過ごすという日々もありえた。レジャーに生きるのでも良かったのでしょう。でも意欲的に活動を続けている。多くの人を巻き込んで、旅を続けている。冒険をしている。それも日本で。日本との新しい関係が始まったのです。昔は、私は来訪者だった。今も外国人ではありますが、日本で活動している。来訪者でも、旅行者でもない。日本の生活や経済の一部になったのです。それは非常に感慨深いです。もっと深く、日本人と一緒に働いて、日本に学んでいるわけです。

Sh:この環境下で日本に戻れないという心痛お察しします。次はぜひ富山でお会いしたい。

R:どれだけフランスにいるのか。これがいつ明けるのか。長い時間がかかるかもしれない。(2021年の)3月、4月に日本に戻れるかどうか…。でも、日本のすばらしいチームを信頼していますし、密に連絡をとりあっています。彼らなら、大丈夫。私は、一人寂しいわけじゃない。4~5年にわたり夢見てきたプロジェクトが実現するタイミングで日本にいられないのは非常に残念ですが、なんとかできる。そしてまた戻れる。日本には私を引き寄せる磁力があるのですから。