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RUNNING STORY AT CHAMPAGNE 聖地を巡る
華やかさの理由と真髄を探るべく、シュワリスタ、シャンパーニュ地方へ
岩瀬大二(d's arena)
バブル入社組。酒と女と旅を愛する編集プロダクション代表。世界最高峰の世界遺産はイタリア女だ! とローマのど真ん中で叫んだ経験あり。企業SP、WEBサイト、携帯メディアなどでエディター、プランナー、ライターとして活動中。
photo: NORICO
Vol.9
土曜日、夕刻、東京
09.7.31 up

5月、金曜日。シャンパーニュ騎士団からシュヴァリエの称号をいただいた。

マンダリン・オリエンタルホテル東京、叙任式と晩さん会の会場は、厳かで華やかで、心地よい緊張感と、同じぐらい、心地よい肩の力が抜けた雰囲気の中にあった。

日本の飲食業界やホテルを代表するビッグネームや、星付きレストランの匠、そして、前日にマスコミをにぎわしていたロックスターまで、その中にいる自分にはじめは、多少の気恥ずかしさと、重たさを感じていたけれど、東京で取材したビルカール・サルモンの次期当主アントワンや、エペルネで会食をしたCIVCの広報担当ダニエルさん、そんな人たちの笑顔と、おめでとうの言葉に、かなり気楽になっていた。

その様子は、シュワトークに記させていただいたが、名誉や責任という言葉よりも、やはり幸せな世界なんだな、という想いを強くした。それは、シャンパーニュというものが取り持つ、出会い、縁。この場にいて、思い返すのは、今までシャンパーニュを通じて出会った人々との会話、笑顔。この連載を通じて書きたかったのは、実はそういうことだったのかもしれない。

この夜、仲間たちと2次会、そして3次会へ。シャンパーニュは名品、希少品ぞろいだったけれど、僕の幸せはそこにあったわけではない。この人たちと過ごす時間だ。

DIVINオーナー宮崎さん、そして仲間たち。写真下左からお二人目は今期の騎士団長ピエール・エマニュエル・テタンジェ氏。

翌、土曜日。朝の4時まで3次会を楽しんだ恵比寿のDIVINに、午後4時。

僕が、労働の後のハッピーアワー最高最強のシャンパーニュとリコメンドしている、アイ村のメゾン・ガティノワの11代目当主ピエール・シュヴァル・ガティノワさんとお会いした。 彼は、昨年、シュワリスタ・ラウンジのメンバーがフランス現地でシュヴァリエを叙任した際の騎士団長で、本特集にも登場いただいた方。僕は前夜の土曜日が初対面だった。

この日はフランスで彼にお世話になった2人のシュワリスタ・メンバーも駆けつけ、DIVINオーナーで、僕と一緒に、昨夜シュヴァリエとなった宮崎さん、そしてインポーターである、ヴァンパッシオンさんと、ガティノワを改めてテイスティングしながら、ゆったりした時間を過ごした。 前日、お誕生日だったという彼のために、メンバーの一人がバースデイケーキを用意していた。 時差ぼけや多忙の中、たくさんの酒量ということでお疲れ気味だった氏の顔がほころぶ。気持ち良さそうにキャンドルを吹き消し、上機嫌でガティノワを語り出す氏。

ピエール・シュヴァル・ガティノワさんとバースデーケーキを囲んで。

300年あまり続くガティノワの哲学の息子への継承、ディープ・シュワリスタの間で話題になるあの独特の酒石の話など、興味深い話が続いた。 その中で、宮崎さんがアイ村を訪れた際のエピソードにみんなが噴き出した。 宮崎さんがいう。

「くだらない話で恐縮なんですけど、アイ村の思い出と言えば、ボランジェのほうにあがった丘の上のブドウ畑の中に、なにやら展望台みたいな、でもそんなんでもない石舞台みたいのがあって、そこでパンとか食べてたんですけど、あれ、なんなんですかね? 何にも書いてないし」

ピエール・シュヴァルさんは答えた。

「あれはね…ぼくが作ったんだよ(笑)」

えーっ! と笑いながらのけぞるみんな。 なんでも自分の畑の中に、簡易展望台をおふざけでつくったものだそうで、以前はこっちはエペルネ、こっちはランス、あっちはパリというようなペイントをしていたようだが、風雨などで自然にそれが消えていったのだそうだ。 そんな偶然のエピソードも、さらにガティノワを美味しくしてくれる。

アイ村のブドウ畑から「ランドマーク」の教会を望む。枯れた冬の畑は夕焼けに照らされると見事な黄金色に。

僕もアイ村滞在の話をした。この連載でも紹介した、泊まったプチホテルの話、もちろんピエール・シュヴァルさんは知っていた。そしておばあちゃんのレストランの話もした。するとピエール・シュヴァルさんは、ちょっと顔を曇らせて、手を水平に動かした。

「あぁ、あの店はクローズしたよ」

え? と僕は声を出した。

「亡くなったんだよ、あのマダム。3か月前に」

今までの僕の笑顔、それで美味しくなったガティノワ。その幸せな時間が急に萎えていく。でも、それは長くは続かなかった。あのおばあちゃんの笑顔と、カメラマンが間違えて食べ過ぎた豚のテリーヌの味を思い出した。いい思い出だと思った。少なくとも亡くなる前に会えたんじゃないか。その話を、ガティノワの当主から、シュヴァリエとなった翌日の東京で聞いた。面白い縁じゃないか。そう思った。おばあちゃんの店のことを、このシュワリスタ・ラウンジで書くことができた。それでいいんだ。幸せな追悼文に、その記事たちはなっているはずだ。お墓に花を手向けることはすぐにはできないけれど。

そう思ったら、少しだけグラスに残っていたガティノワが極上の味に感じられた。アイ村の空気、あの乾きと潤いと、頑固と優しさの入り混じった、甘辛な人たち、甘辛な空気。あのままの味だと思った。

家に戻ると、ドゥーツのブリュット・クラシックが

「俺を飲め」

と語りかけてきた。幻聴だ。でも、その声は、自分の想い出の中から聞こえてきた声だった。3杯目、この日のドゥーツは、温度が上がってきてからがのみごろだった。

上: おばあちゃんの店の豚のテリーヌ。もう味わえない。そう思うとせつない。
下: アイ村の風景。

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